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森末慎二の現在!宮古島生活と金メダル秘話

かつて体操界を席巻し、オリンピックで金メダルを獲得した伝説の体操選手、森末慎二さん。その名前を聞いて、華麗な鉄棒演技を思い出す方も多いのではないでしょうか。引退後はタレントとしても活躍し、お茶の間を賑わせました。そんな森末慎二さんですが、「現在は何をしているの?」と気になる方もいるかもしれません。実は、驚きの転身を遂げ、南の島・宮古島で悠々自適な生活を送っているのです。

この記事では、森末慎二さんの輝かしい経歴から、衝撃的な引退の真相、タレントとしての活躍、そして現在の宮古島での生活ぶりまで、その波乱万丈な人生を徹底的に掘り下げていきます。体操ファンはもちろん、森末さんの現在の活動に興味がある方、そして人生の新たなステージに挑戦したいと考えている方にも、きっと多くの発見と共感があるはずです。知られざるエピソードや、金メダル獲得の裏側、そして宮古島での意外な日常まで、森末慎二さんの魅力を余すところなくお伝えします。

目次

森末慎二とは?輝かしい経歴を持つ金メダリスト

森末慎二さんは、1957年5月22日、岡山県岡山市に生まれました。幼少期から活発で、小学3年生の頃には鉄棒に夢中になり、独学で技を習得していったといいます。中学校で体操部を創設してもらうほど体操への情熱は深く、地元の名門、関西高等学校へ進学。本格的に体操競技の道へと進みます。

高校時代には国体で活躍するなど頭角を現し、スポーツの名門である日本体育大学へ特待生として入学。しかし、大学時代は度重なる怪我に悩まされ、特に3年次には左足のアキレス腱を断裂、復帰直後には右足のアキレス腱も断裂するという試練に見舞われます。「もう体操はやめろということか」と失意の底にいた森末さんを支えたのは、後に妻となる大学の後輩でした。彼女の支えもあり、大怪我を乗り越え、体操選手としての道を歩み続けます。

大学卒業後は、当時日本一の実力を誇った紀陽銀行の体操部に入部。社会人選手としてキャリアをスタートさせます。当時の日本体操界は世代交代の時期であり、離れ技など新しい技術が求められる潮流も森末さんにとって追い風となりました。次第に日本代表に選ばれるようになり、世界の舞台を目指します。

森末慎二 プロフィール概要

項目 内容
氏名 森末 慎二(もりすえ しんじ)
生年月日 1957年5月22日
出身地 岡山県岡山市
身長 170cm
血液型 B型
学歴 関西高等学校、日本体育大学 卒業
職業 元体操競技選手、タレント、スポーツコメンテーター、実業家
所属事務所 佐藤企画
主な実績 1984年ロサンゼルスオリンピック 体操競技
・鉄棒:金メダル
・跳馬:銀メダル
・団体総合:銅メダル
オリジナル技 モリスエ(平行棒:後方棒上かかえ込み二回宙返り腕支持、鉄棒にも同名の技あり)

森末慎二さんは、体操選手として輝かしい実績を残しただけでなく、その明るいキャラクターとトーク力で、引退後も多方面で活躍を続けています。次のセクションでは、彼のキャリアのハイライトであるロサンゼルスオリンピックでの快挙と、伝説の技「モリスエ」について詳しく見ていきましょう。

体操界のレジェンド!ロス五輪での快挙と「モリスエ」誕生秘話

森末慎二さんの体操選手としてのキャリアの頂点は、間違いなく1984年のロサンゼルスオリンピックでしょう。この大会で、森末さんは日本体操界、いや世界の体操史に残る輝かしい成績を収めました。

最も印象的だったのは、種目別の鉄棒決勝です。ここで森末さんは、驚異的な集中力と技術で10点満点を叩き出し、見事金メダルを獲得しました。当時の採点基準で満点を出すことは至難の業であり、しかも規定演技、自由演技、そして種目別決勝と、鉄棒の演技すべてで10点満点を記録するという「パーフェクト優勝」は、まさに圧巻の一言でした。その完璧な演技は、観客だけでなく世界中の体操ファンを魅了しました。

ロス五輪での森末さんの活躍は鉄棒だけにとどまりません。種目別の跳馬でも安定した演技を見せ、銀メダルを獲得。さらに、団体総合でも日本チームの中心選手として貢献し、銅メダル獲得に大きく貢献しました。一つのオリンピック大会で金・銀・銅すべてのメダルを獲得するという快挙は、森末さんのオールラウンドな能力と精神力の強さを証明するものでした。

そして、森末慎二さんを語る上で欠かせないのが、彼の名を冠したオリジナル技「モリスエ」です。これは平行棒における後方棒上かかえ込み二回宙返り腕支持というD難度の高度な技で、当時世界でも実施できる選手はほとんどいませんでした。鉄棒にも同名の技があり、これらの独創的で難易度の高い技は、森末さんの代名詞として体操界にその名を刻みました。「モリスエ」は、彼の卓越した技術力と挑戦心が生み出した、まさに伝説の技と言えるでしょう。

当時の興奮が蘇る、ロサンゼルスオリンピックでの鉄棒演技をご覧ください。

引用元:森末慎二 鉄棒 (84’ロサンゼルス五輪) – YouTube

この歴史的な瞬間は、多くの人々の記憶に深く刻まれています。しかし、この栄光の裏で、森末さんは大きな決断を迫られることになります。次のセクションでは、彼の突然の引退とその背景に迫ります。

衝撃の引退!「いいとも」出演とアマチュア規定の壁

ロサンゼルスオリンピックでの輝かしい成功からわずか2年後の1986年2月26日、森末慎二さんは突然の引退を発表し、世間を驚かせました。その背景には、当時のアマチュア規定と、人気テレビ番組への出演という、異例の出来事がありました。

きっかけとなったのは、フジテレビ系の国民的人気番組『笑っていいとも!』の看板コーナー「テレフォンショッキング」への出演依頼でした。歌手の岸田智史さんからの紹介で、森末さんに出演の白羽の矢が立ったのです。しかし、当時、森末さんはまだ紀陽銀行に所属するアマチュア選手でした。そして、当時の日本体育協会のアマチュア規定では、現役選手が許可なくバラエティ番組に出演することは固く禁じられていたのです。

出演か、現役続行か。森末さんは大きな岐路に立たされました。オリンピックで頂点を極めたとはいえ、まだ28歳。選手として、まだやれるという思いもあったでしょう。しかし、彼は「いいとも出演」を選び、その日のうちに引退を宣言するという衝撃的な決断を下します。所属していた紀陽銀行も退社し、アマチュア選手としてのキャリアに自ら終止符を打ったのです。

この決断は、当時のスポーツ界に大きな波紋を広げました。アマチュアリズムが重んじられていた時代に、人気番組への出演を優先して引退を選ぶという選択は、前代未聞だったからです。しかし、森末さん自身は後年のインタビューで、「(オリンピックで)金メダルを獲って、目標を達成したという気持ちもあった」「新しい世界を見てみたかった」と語っており、自身の選択に後悔はない様子です。むしろ、この大胆な決断が、彼のその後のタレントとしての成功への扉を開くことになったのです。

この「いいとも出演」を機に引退するというエピソードは、森末慎二さんの型破りな性格と、常に新しい挑戦を求める姿勢を象徴する出来事として、今も語り継がれています。まさに、金メダルと引き換えに手に入れた、新たな人生への切符だったのかもしれません。

森末さんの人柄や考え方に触れることができるインタビュー動画もご覧ください。

引用元:森末慎二さんへのヒーローインタビュー!ダイジェスト版 – YouTube

引退後、森末さんはどのような道を歩んだのでしょうか。次のセクションでは、タレント、そして文化人としての彼の多彩な活躍に焦点を当てます。

タレント・文化人としての多彩な活躍

現役引退後、森末慎二さんはその明るいキャラクターと、アスリートとしての経験を活かし、タレント、スポーツコメンテーターとして新たなキャリアをスタートさせました。「いいとも」出演をきっかけに芸能界入りを果たし、TBS系の『ドキド欽ちゃんスピリッツ』で本格的なタレントデビューを飾ります。

その後、数々のバラエティ番組や情報番組に出演。特にTBS系の長寿番組『アッコにおまかせ!』では、レギュラー出演者として長年活躍し、お茶の間の人気者となりました。番組内の人気コーナー「ダイエット体操」の振り付けを担当したこともあり、体操の知識を活かしたユニークな企画で視聴者を楽しませました。この成功体験から、他の体操関連の仕事の依頼も増えましたが、後輩である佐藤弘道さんに仕事を譲るなど、後進への配慮も見せていたそうです。

また、スポーツコメンテーターとしても、オリンピックや世界選手権などの体操競技中継で、自身の経験に基づいた的確で分かりやすい解説が好評を博しました。専門的な視点と、視聴者に寄り添った言葉選びで、体操競技の魅力を多くの人々に伝えました。

さらに、森末さんの活躍はテレビだけにとどまりません。その爽やかなイメージから、CMキャラクターとしても引っ張りだこに。特に、水まわりメンテナンスでお馴染みの「クラシアン」のCMには14年間も出演し続け、「クラシアンです!」のフレーズと共に、多くの人々の記憶に残っています。

加えて、全国各地での講演会活動も精力的に行っています。自身のオリンピックでの経験や、怪我からの復活、引退と転身の決断など、波乱万丈な人生経験を基にしたトークは、「笑いが絶えず、とにかく楽しい」「モチベーションが上がる」と評判です。挑戦することの大切さや、ポジティブシンキングの重要性を、自身の言葉で熱く語りかけています。

歌が得意な一面もあり、ジャズライブ活動やレコードリリース、ダンスの振り付けなども手掛けるなど、その多才ぶりを発揮。まさに、スポーツ界からエンターテイメント界へと華麗な転身を遂げ、マルチな才能で人々を魅了し続けてきたのです。

漫画『ガンバ!Fly high』原作者としての顔

森末慎二さんの多彩な才能は、エンターテイメントの世界だけに留まりません。彼は漫画の原作者としても、大きな成功を収めています。その代表作が、体操をテーマにした大人気漫画『ガンバ!Fly high』(作画:菊田洋之)です。

この作品は、週刊少年サンデーで1994年から2000年まで連載され、単行本は全34巻、累計発行部数は1000万部を超える大ヒットとなりました。平凡な中学生だった主人公・藤巻駿が、体操と出会い、仲間たちと共に成長しながら世界の頂点を目指す姿を描いた青春スポーツ漫画です。

森末さんは、自身の豊富な体操経験と知識を活かし、作品のリアリティを追求しました。技の解説はもちろん、選手たちの心理描写、試合の臨場感、体操界の裏側など、元オリンピック金メダリストならではの視点が随所に盛り込まれています。作画担当者によると、森末さんは自らモデルとなり、演技の姿勢や成功例・失敗例などの参考写真を提供することもあったそうで、「こんな事が出来る漫画原作者はいません」と、その協力体制を絶賛しています。

『ガンバ!Fly high』は、読者に体操の魅力や奥深さを伝え、多くの子供たちに夢と感動を与えました。その功績が認められ、1998年には第43回小学館漫画賞(少年部門)を受賞。さらに、1996年には『ガンバリスト!駿』としてテレビアニメ化もされ、大きな反響を呼びました。

森末さん自身、「子供たちに体操の面白さを伝えたい」という思いで原作を手がけたと語っています。この漫画を通じて、体操に興味を持つきっかけになった人も少なくないでしょう。体操選手、タレント、そして漫画原作者と、森末慎二さんは常に新しい分野に挑戦し、その才能を発揮し続けているのです。

現在の活動:宮古島での悠々自適な生活と居酒屋経営

近年、森末慎二さんは生活の拠点を沖縄県の宮古島に移し、新たなライフステージを歩んでいます。温暖な気候と美しい自然に魅了され、土地を購入。現在では、1年のうち3分の2ほどを宮古島で過ごしているそうです。

宮古島での生活は、まさに悠々自適。ゴルフを楽しんだり、地元の友人たちと交流したりと、リラックスした時間を満喫している様子がメディアでも報じられています。しかし、ただのんびり過ごしているだけではありません。なんと、宮古島で居酒屋「みゃ~く商店」を経営しているのです。

このお店の看板メニューは、宮古島産の車海老を使った天丼。「どうしたら車海老を一番美味しく食べられるか?」と考え抜いた末にたどり着いたこだわりの逸品だとか。自ら厨房に立つこともあるそうで、インタビューでは「僕はもう、ただの天丼屋のオヤジです」と笑顔で語っています。オリンピック金メダリストが営む天丼屋として、地元住民や観光客から人気を集めています。

なぜ宮古島に移住し、飲食業を始めたのでしょうか。森末さんは「自分にとって新しいものを探して」と語っており、常に新しい挑戦を求める彼の姿勢がうかがえます。体操選手、タレント、漫画原作者、そして居酒屋店主と、その活躍の場はとどまることを知りません。宮古島での生活は、彼にとってまさに「第三の人生」と言えるのかもしれません。

宮古島での森末さんの生活に密着した動画がありますので、ぜひご覧ください。

引用元:【密着】森末慎二 宮古島で1人生活 多忙な天丼屋に!体操界のレジェンド【めざまし8】 – YouTube

宮古島での充実した日々を送る一方で、森末さんは長年携わってきた体操界への貢献も続けています。次のセクションでは、指導者、そして協会理事としての彼の役割について見ていきましょう。

体操界への貢献:後進の指導と協会理事としての役割

宮古島での新しい生活を楽しみながらも、森末慎二さんは長年情熱を注いできた体操界への恩返しを忘れてはいません。引退後も、後進の育成や体操競技の普及に力を注いでいます。

特筆すべきは、九州共立大学での活動です。森末さんは同大学の特別客員教授を務め、定期的に体操部を指導しています。彼の指導のもと、同大学体操部は目覚ましい成長を遂げました。2002年には、体育学部のない地方大学としては全国初となる西日本学生選手権での団体・個人総合優勝という快挙を達成。これは、森末さんの指導力の高さを証明する出来事でした。彼は若手選手たちに、技術だけでなく、挑戦する心や諦めない精神の重要性も伝えています。「自分で考えて練習すること」の大切さを説き、選手たちの自主性を育む指導を心掛けているそうです。

また、森末さんは日本体操協会理事も務めており、協会運営の立場からも体操界の発展に貢献しています。近年、体操界では指導者によるパワハラ問題などが表面化しましたが、森末さんはメディアを通じて自身の意見を発信。2018年に起きたパワハラ告発問題の際には、「(告発は)すごい勇気がいったことだと思う」と選手を擁護しつつ、「協会の中に夫婦でいて、この立場にいること自体がおかしい」と、当時の協会幹部(塚原夫妻)の体制に対して苦言を呈するなど、体操界の健全化に向けた提言も行っています。自身の経験と知名度を活かし、より良い体操界を目指して尽力しているのです。

選手として頂点を極め、指導者としても実績を残し、そして組織運営にも関わる。森末慎二さんの体操への愛情は、形を変えながらも、今もなお熱く燃え続けています。

森末慎二の人物像:家族や趣味、知られざるエピソード

輝かしい実績と多方面での活躍を見せる森末慎二さんですが、その素顔はどのようなものなのでしょうか。彼の人柄やプライベートな一面に迫ってみましょう。

子供の頃から目立ちたがり屋でやんちゃだったという森末さん。高いところに登ったり、独学で鉄棒の技を習得したりと、その好奇心旺盛でチャレンジ精神あふれる性格は、幼少期から変わらないようです。一方で、高校時代に不祥事を起こして大会出場を逃した経験や、大学時代に度重なるアキレス腱断裂という大きな挫折も経験しています。しかし、そうした困難を乗り越えられたのは、持ち前のポジティブな思考と、周囲の支えがあったからでしょう。特に、大学時代に出会い、後に妻となった女性の存在は、彼が怪我から立ち直る上で大きな心の支えとなりました。

家族については、奥様との間にお子さんもいらっしゃるようですが、プライベートな情報はあまり公にされていません。しかし、宮古島での生活を始めるにあたり、家族と離れて一人で移住したという報道もあり、家族それぞれの人生を尊重し合っている関係性がうかがえます。

趣味はゴルフで、宮古島でも頻繁にプレーを楽しんでいるようです。また、歌が得意でジャズライブを行うなど、音楽的な才能も持ち合わせています。多趣味で、何事にも全力で取り組む姿勢が、彼の人生を豊かにしているのかもしれません。

また、後輩思いな一面も持ち合わせています。前述の通り、ダイエット体操の振り付けで成功した後、同様の依頼が増えた際には、同じ体操出身の佐藤弘道さんに仕事を譲っていたというエピソードは、彼の温かい人柄を表しています。

常に前向きで、新しいことに挑戦し続ける森末慎二さん。その明るさと行動力、そして時折見せる人間味あふれる姿が、多くの人々を惹きつける魅力となっているのでしょう。

まとめ:森末慎二の魅力と今後の展望

体操選手としてオリンピック金メダルという頂点を極め、引退後はタレント、漫画原作者、指導者、そして現在は宮古島の居酒屋店主と、常に新しいステージで輝き続ける森末慎二さん。その人生は、まさに挑戦と変化の連続でした。

彼の魅力は、卓越した運動能力多才さはもちろんのこと、どんな困難にも前向きに立ち向かう姿勢現状に甘んじることなく新しい道を切り拓く行動力、そして周囲の人々を惹きつける明るく親しみやすい人柄にあると言えるでしょう。「モリスエ」という伝説の技を生み出した独創性、アマチュア規定の壁を破って「いいとも」出演を選んだ決断力、そして宮古島で新たな人生をスタートさせた柔軟性。その一つ一つが、森末慎二という人間の型破りな魅力を形作っています。

現在、宮古島での生活を満喫しながらも、体操界への貢献も続ける森末さん。今後、彼がどのような新しい挑戦を見せてくれるのか、多くの人々が注目しています。居酒屋「みゃ~く商店」のさらなる発展か、あるいはまた別の分野での活躍か。彼のエネルギッシュな活動から、今後も目が離せません。

この記事を通じて、森末慎二さんの波乱万丈な人生と、現在の充実した活動ぶりを知っていただけたでしょうか。彼の生き方は、人生の可能性は無限大であること、そしていくつになっても新しい挑戦はできることを教えてくれます。今後の森末慎二さんの活躍に、ますます期待が高まります。

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